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第四部
日本橋の新しい顔「でんでんタウン協栄会」
成熟社会の出現と平成の時代へ
(1975年〜)
一章 熾烈な価格競争へと突入する家電産業
二章 カラーテレビとVTR
三章 オーディオ機器の技術革新と市場の拡大
四章 第三の家電”情報家電”
五章 でんでんタウンの新装と新店舗戦略
六章 長期好況と業態開発
七章 でんでんタウンの新装と新店舗戦略
八章 家電街再編へ
九章 人と人、街と街が協力しながら、競いあ いながら
   

八章  家電街再編へ   

  バブル経済 の崩壊

 平成四年(1992)の初頭から、バブルの崩壊がいよいよ本格化してきた。平成二年に始まる株価の暴落、続いて、平成三年の都市部を中心とする地価の下 落、はからずも露呈してきた土地投機に起因する金融機関、とくにノンバンク主体の不良債権、株式投資と証券業界の不祥事、これらの不測事態が、ようやく実 体経済にも影響を及ぼし、景気後退につながった。

 世の中はそれまでの消費ムードから、倹約ムードへと一変。企業も設備投資に慎重にならざるをえない状況になってきた。

 平成四年三月期決算では、ほぼ全産業の業績が大幅に悪化し、前三月期に続き、二年連続で経常利益の減益をもたらすことになった。これは、かつての二度の オイルショック後の不況とよく似たパターンである。バブルに浮かれた平成景気から、あっという間の平成不況への様変わりであった。
バブル崩壊
バブル崩壊・・だがギャルたちは元気!(平成四 年)
 四年間続いたバブル景気の反動は大きい。エレクトロニクスや自動車などの耐久消費財メーカーはとくに後遺症がひどく、 大手メーカーは軒並みに経常利益の 一〇から一六パーセント台の減益を記録、なかでもソニーの営業利益の赤字、日本ビクター、クラリオンの経常利益の赤字は、その最もたるものであった。


  若者の街” ミナミ”へと商圏を広げる

 でんでんタウンは、日本橋筋周辺となんさん通り沿いに並ぶ電器店によって形成された電器街をさすが、従来、なんさん通りは家具の街であり、電器街として の比重は圧倒的に日本橋筋にかたよっていた。それが、現在では、なんさん通りに電器店が急増し、電器の街へと変貌しつつある。かつての家具の街の面影は年 々薄れてきている。
 家電需要の成熟期を迎えてから、家電業界の冷え込みがささやかれるようになった。日本橋も従来の男性を中心とした顧客 層だけでは大きな伸びが期待できな い。そこで、新規ユーザーの獲得を図るべく、女性やヤングが集まる難波・千日前などいわゆる”ミナミ”地区へと出店、商圏の拡大に乗り出した。

 ミナミ方面から、旧来のでんでんタウンへと集客を図るには、まず、難波側の玄関口であるなんさん通りを、電器街として充実させることである。その動きは 平成元年頃から活発化し、ほんの二、三年でなんさん通りには二十店舗以上の電器店が増えた。どの店舗も女性やヤングを意識した売り場展開が行われているの が特徴である。

 家具店は商品の展示に広いスペースを要する。なんさん通りの多くの家具店は、地価高騰のさなかにある都心の店は電器店に賃貸し、広々とした駐車場を備え た郊外型店舗へと業態変革を図った。

 次なる商圏拡大のターゲットとして注目されているのは、南海電鉄沿いになんばシティから日本橋西一丁目へと南北に伸びる”今宮戎通り”。難波地区再開発 計画の中心となる大阪球場跡周辺には各種スポーツ施設が、南海電鉄高架下にはさまざまなファッションブティックが軒を連ね、ヤングたちで賑わっている。
なんさん通り
電器街に変貌した「なんさん通り」
(平成八年)

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 第一部 江戸時代から長町の宿場町


 第二部 大阪の文明開化 と大正そして昭和の戦禍

 第三部 パーツ全盛の電気街と技術革新の波


 第四部 日本橋の新しい顔「でんでんタウン協栄会」


座談会 「僕らの時代の日本 橋」〜二十一世紀へ、新しい電器街の創造をめざして〜